前回のコラムの終わりに、ビスクドールのボディにも様々な仕掛けが施されていることと、代表的な機能をご紹介したことを覚えておいででしょうか。
ビスクドールの役割は観賞用の人形から玩具用の人形へと変遷していくことは既にご存知だと思うのですが、友人であり姉妹であるお人形とお話しできたり、お茶の時間を楽しむことができたらと人々が夢想した結果生みだされたのが仕掛け人形ではないのかと個人的には思っています。
(逆に観賞用の役割を担ったまま、技術的な部分に重きを置いたお人形がオートマタではないでしょうか)
今回のコラムでは人々の夢を人型に閉じ込めた仕掛け人形について、話す・歩くといった普遍的な機能のほか、ブリュ社が生みだしたミルクを飲んだりクッキーを食べる機能をもつお人形についてご紹介いたします。
アンティークドールのうち、トーキングドールと呼ばれる多くは、ボディに鳴き笛を入れ、腹部や腰部から伸びる紐を引くことで「ママ、パパ」と呼びかける機能を持っています。
鳴き笛は腹部に仕掛けられており、プレートを外すことでオーナー自身がメンテナンス可能となっています。また、胸元や背面には複数の窓が開けられており、鳴き笛の音が通るようなつくりをしています。
お人形によっては紐が2本あり、ママ・パパを呼び分けるタイプもあります。
聞いてみたところ、想像していたようなはっきりした発生ではないですが、きちんと抑揚はついており、喃語のような印象を抱きました。
フォノグラフと呼ばれるゼンマイをまわすことでボディの中に仕掛けた蓄音機が作動するお人形では、より明瞭に・長文を話すようになります。
残念ながら私はヒアリングが出来ないのですが、歌っているような喋っているような印象を持ちます。
ウォーキングドールには片足を前に動かすと、もう一方が後ろに動く仕掛けや、自立二足歩行を行うものなどいくつかの種類があります。
腹部のプレートを外した写真を見かけたのですが、解像度が低かったので具体的なつくりまでは分かりませんでした。いくつか動画を見つけたのでご紹介いたします。
思っている以上にきちんと歩いている印象です。
写真集を見ていると、お人形だけでなく、当時の少女たちがビスクドールと一緒に撮影した写真やポストカードが掲載されていることがあります。
大半の少女たちはビスクドールを抱きしめていたり椅子に座らせていたりするのですが、ある写真はいかにも手を引いてカメラの前に連れてきたようなポージングを取っていました。もしかしたらそのビスクドールは歩くことが出来て、少女は本当にカメラの前まで連れてきたのかもしれないと思うとなんだかわくわくしますね。
今までご紹介したおしゃべりする人形や歩く人形はジュモーに限らず、ケストナーやシモン&ハルビックなど機械的な技術力のある人形工房では多く作られていたのですが、他の工房が真似できない仕掛けを生みだした人形工房にブリュの名前があります。
現代の子供向け玩具の中には離乳食を食べたりミルクやお水を飲むお人形がありますが、19世紀の作品の中では群を抜いて斬新なものではないでしょうか。
「BRU PUPPEN」によると、ミルク飲み人形のべべ・テトゥールは1879年の特許申請後、20世紀に入ってもなおSFBJのもとで作られ続けていたとの記載があります。
液体の入った小瓶とヘッド内部のゴムボールをチューブでつなぎ、ヘッドの後ろからゴムボールを押しつぶすことで吸引力が生まれ、瓶の液体が吸い上げられる、という仕組みです。
残念ながらこのべべ・テトゥールはゴムの経年劣化によりその機能を十分に有するものは残っていません。
1882年にブリュから発表されたべべ・グルマンというビスクドールは、お人形でありながら小さな固い食べものであれば飲み込むことが出来る機能を持っています。
仕掛けは分かりやすく、丸い開口部に食べものを差し込むと舌が蠕動し、ヘッドからボディへと落下していきます。空洞を通った食べものはやがて足へとたどり着き、足の裏・靴の裏に開けた穴から排出されます。
ブリュの美しい顔にぽっかり開いた口というのは非常に違和感があるのですが、べべ・グルマンの場合は舌を有しているため、比較的美しさを損なわない見た目のようです。ただこの舌は無くなることが多く、結局はべべ・テトゥールと同じ口の形となるんだそうです。
前回のコラムでキッドボディとシュヴロボディをご紹介しましたが、べべ・グルマンの時代はコンポジションではなくこの革製のボディであったため、衛生的な問題でべべ・テトゥール以上に残っているアンティークドールが少ないようです。
≪ 参考文献 ≫
西洋人形 / 著 中村公一 名鏡勝朗 / 講談社
BRU PUPPEN / 著 古閑くに子 神谷圭子