皆様は『フランス人形』と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?高度経済成長期に流行した、ケース入りのお人形を想像する方もおられるでしょう。筆者などは磁器製のお顔にガラスでできた瞳をはめたビスクドールを思い浮かべます。『フランス人形』と一口に言っても、色々な種類があるようです。
この記事はそんなフランス人形の歴史を辿るべく、悪戦苦闘しつつ集めた情報の覚え書きのようなものです。何かのお役に立てば嬉しいです。
時は14世紀。フランスを中心に、流行のファッションを伝える目的でお人形が作られるようになりました。今でいうファッション雑誌に似た役割をお人形が担っていたわけです。これらのお人形は「パンドラ人形」と名付けられました。語源はあの『パンドラの箱』(*1)。当時の人々にとって、最先端のパリ・モードは、好奇心を駆り立てる禁断の箱のように、妖しく魅力的に見えたのでしょう。
パンドラ人形は小型から等身大までサイズがあり、主に木や泥、土、それらを焼いたテラコッタで作られていました。17世紀には生産量も増え、美しい姿で現存するものも多く、肌は彩色されて、眼にはエナメル質のガラスをはめたものまであるそうです(*2)。
一大ファッションメディアとして台頭したパンドラ人形でしたが、19世紀、印刷技術の発展で登場したファッション雑誌に取って代わられていきます。
その衰退に拍車をかけたのが皇帝・ナポレオンで、彼はパンドラ人形を禁止してしまいました。というのも当時は戦争中で、国交が制限されていましたが、パンドラ人形にはなんと通行手形が与えられ、国境を越えて流通していたのです。そこに軍事情報を隠匿されることを恐れたナポレオンは、パンドラ人形そのものを禁止してしまったとのこと。(*3)
最初お人形に「パンドラ」なんて名付けた人は、洒落のつもりだったのかもしれませんが、最期には本当に禁断の情報を隠し持たされたわけです。なんとも数奇なお話ですね。
雑誌に追いやられていったパンドラ人形でしたが、我らがフランス人形の歴史は終わってしまったのでしょうか?いいえ、現存するパンドラ人形はかなり少ないですが、広告塔としての役割で見れば、マネキン人形として今も世界中で活躍しています。
さて中村公一氏の著書『西洋人形』によると、「18世紀末より、人形としての造形美や肌の美しさを追求した、技術的にも高度な焼き物のヘッドを持つ人形が登場」し「これらの人形の頭は、チャイナと呼ばれるうわ薬をかけた光沢のあるものと、ビスクと呼ばれる素焼きに近い磁器でできていた」とのこと。残念ながら、この18世紀末のビスクドールの画像は見つけられませんでした。
ともあれついに夜明けを迎えたビスクドール。二度焼きした磁器のヘッドを持つことから、お菓子のビスケットと同じく、フランス語のビス(二度)・キュイ(焼き)が語源であることは有名です。 ビスクドール初期のものはパンドラ同様ファッションの広告塔の役目を持ち、ファッションドールと呼ばれます。のちにビスクドールでみられる幼児体型ではなく、大人の女性の体型そのままで、コルセットをつけ、細いウエストをしています(*5)。
ところでファッションドールの役割については別な説もあるようで、英国の人形研究家マリー・タルナフスカ氏は「19世紀フランスのファッションドールの主な目的は、子供に与えて着飾らせることで、裁縫や衣装を作る針仕事の教育的意味もあったよう(*6)」と述べています。
その「ファッションドール」という名は、元は「ファッション・タイプ・ドール」と言って、1975年アメリカ・ドールズクラブ協会で選ばれた呼称が語源だそうです(*7)。ほかに「レディドール」「パリジェンヌ」といった別名もあり(*8)、呼び名が統一されていません。
ファッション史の立場から見るとメディアの役目を終えた人形はファッションドールと呼べず、人形史の立場から見ると、のちのべべタイプ(ベベ=子供)と区分してファッションドールと呼ぶのでしょうか。
ともあれ美しい磁器やチャイナヘッドの頭部にガラス眼をはめたビスク製のドールは、百貨店やブティックのショーケースの中で優雅な衣装を身にまとい、行き交う貴婦人たちの目を釘付けにしたことでしょう。
そしてビスクドールとしての本当の黄金期は、この少し後に始まります。
19世紀半ば、人形の体型が大転換点を迎えます。主流が大人の体型から、子供の体型へと変わったのです。そのきっかけのひとつは、1855年のパリ万博で出展された市松人形だと言われます。日本人としてはなんだか嬉しくなるお話ですね。
衣装の販促用ではなく、子供たちの玩具として愛され始めるのもこの頃からです。
ジュモー・ブリュ・ユレなど現代まで名を轟かす名工房が数多立ち上げられ、人形としての造形美が限界まで極められました。代表的な工房であるジュモー社の人形の出荷数が60万体を超えた、とあります(市原 陽子氏『人形だより』より)。
隆盛を極めたビスクドールですが、やがて工房は数少なくなり、統合され、ビスクドール制作は下火になります。一つには19世紀末にドイツ製の安価な人形やセルロイドやゴム製の人形に取って代わられたためと言われています。
ビスクドールについて詳しくは拙稿「ビスクドールとは」にまとめていますので宜しければご覧下さい。
≪ 参考文献・サイト ≫
*1:パンドラ(人形),wikipedia、Fashon doll,Wikipedia
*2:西洋人形アンティーク・ビスクドール:中村公一、
明鏡勝朗、講談社 1982、P83-84
*3:Kate Nelson Best, The History of Fashion Journalism
*4:The 西洋人形、読売新聞社、1983、P118
*5:魅惑の西洋人形、学習研究社、1987、P18-19
*6:同上、P16
*7:同上、P21
*8:同上、P110
*10:近現代日本における人形の創作およびその受容に関する研究、吉良智子